移民の歴史(History of Immigration to Canada)
カナダは、ロイヤリストの移住から西部への入植、戦後の難民の受け入れ、1970年代以降のアジアからの移民まで、多くの人を迎えてきました。移民の割合は2021年に人口の23.0%となり、連邦結成以来で最も高くなっています。主な流れと、移民をめぐる差別の歴史をまとめます。
「移民の国」と呼ばれる理由
市民権の学習用ガイド「Discover Canada(新しいタブで開く)」は、カナダが「移民の国」と呼ばれることが多い理由として、過去200年に何百万人もの新しく来た人々が国づくりにかかわってきたことを挙げています。大きな集団として、イギリス系(イングランド、スコットランド、アイルランド)、フランス系、ドイツ系、イタリア系、中国系、先住民、ウクライナ系、オランダ系、南アジア系、北欧系などを挙げています。
主な流れ
| 時期 | できごと |
|---|---|
| アメリカ独立革命のころ | 4万人を超えるロイヤリストがノバスコシアとケベックへ。黒人のロイヤリスト約3,000人も北へ移る |
| 1832年 | ケベックのグロス・イル(Grosse Île)に検疫所ができる(1937年まで) |
| 1865年 | 政府が移民の記録として乗船者名簿をつけ始める |
| 1869年〜1930年代末 | イギリス諸島から10万人を超える子ども(ホーム・チルドレン)が送られる |
| 1890年代〜1914年 | イギリスとアメリカからそれぞれ100万人。ウクライナ系17万人、ポーランド系11万5,000人などが西部に入植 |
| 1956年 | ハンガリーから逃れた約3万7,000人を受け入れる |
| 1960年代 | カナダ人の3分の1が、イギリス系でもフランス系でもない出自に |
| 1970年代以降 | 移民の多くがアジアの国々から来るようになる |
| 1975年以降 | ベトナム戦争のあと、5万人を超えるベトナムの人々がカナダに逃れる |
(ホーム・チルドレン、乗船者名簿、グロス・イルはカナダ国立図書館・文書館(Library and Archives Canada)のページ(新しいタブで開く)、ほかは Discover Canada の「カナダの歴史」「現代のカナダ」の章によります。)
ロイヤリストの時代についてはイギリス領北アメリカで扱います。西部への入植は、大陸横断鉄道ができたことで可能になりました。
差別の歴史と政府の謝罪
Discover Canada は、移民や移民の子孫が差別を受けた歴史にも触れています。
- 中国系の人々:大陸横断鉄道の建設には中国系の労働者もかかわりました。その後、中国系の人々は、人種にもとづく入国の料金「人頭税(Head Tax)」などの差別を受けました。カナダ政府は2006年に謝罪しています。
- 第一次世界大戦中の抑留:1914年から1920年まで、もとオーストリア=ハンガリー帝国の臣民だった8,000人を超える人々(主にウクライナ系の男性)が「敵性外国人」として、全国24か所の労働キャンプに抑留されました。
- 日系カナダ人:第二次世界大戦中、連邦政府は日系のカナダ人を強制的に移動させ、財産を補償なしに売却しました。カナダ政府は1988年に謝罪し、補償を行っています。くわしくは第二次世界大戦中の強制移動で扱います。
数字で見るいま
カナダ統計局(Statistics Canada)の発表(新しいタブで開く)によると、2021年の国勢調査で、移民(永住者になった人を含む)は830万人を超え、人口の23.0%でした。これは連邦結成以来で最も高い割合で、それまでの記録は1921年の22.3%です。最近の移民のうちヨーロッパ生まれは、1971年には61.6%でしたが、2021年にはアジア(中東を含む)生まれが62.0%を占めています。
カナダ統計局は、2041年には移民が人口の29.1〜34.0%になる可能性があるとしています。いまの人口と移民の数はカナダの人口、多様さについての法律は多文化主義にまとめています。
日本とのちがいと注意点だよ!
- カナダの人口の増加は、国外から来る人に大きく支えられてきました。歴史の中で、どの国から来る人が多いかは大きく変わっています。
- 日本からカナダへの移民の歴史は日系移民の始まりで扱います。
- 家族の先祖の記録を調べたいときは、1865年から1935年の乗船者名簿などをカナダ国立図書館・文書館が持っています。1936年以降に来た人の記録は、移民・難民・市民権省(IRCC)が持っています。
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