第二次世界大戦中の強制移動(Internment of Japanese Canadians)
1942年、BC州の太平洋岸に住んでいた約2万2,000人の日系カナダ人は、連邦政府の命令で海岸から離れた地域へ移され、財産も処分されました。1946年には約4,000人が日本へ送られ、海岸に戻る自由が認められたのは1949年4月1日です。1988年、連邦政府は公式に謝罪しました。
1942年の命令
第二次世界大戦中の1942年、カナダ連邦政府は、BC州の太平洋岸に住んでいた日本にルーツを持つ人々に、海岸から離れるよう命じました。
カナダ文化遺産省(Canadian Heritage)の年表(新しいタブで開く)によると、この命令は戦時措置法(War Measures Act)にもとづくもので、「制限区域」を出て、西海岸から100マイル(160km)内陸へ移るよう求めました。対象になった日本にルーツを持つ人は、2万1,000人を超えました。
カナダ公園局(Parks Canada)は、この出来事を1984年に国の歴史的な出来事(National Historic Event)に指定しています。Parks Canadaの記念の説明(新しいタブで開く)では、対象になった人を約2万2,000人とし、次のことを記しています。
- 人々の財産は没収され、本人の同意なく売却された。
- 人々はBC州内陸の収容所や、アルバータ州・マニトバ州・オンタリオ州の農場へ、強制的に分散させられた。
- 1942年3月から11月まで、男性・女性・子ども8,000人が、移動の前にバンクーバーのヘイスティングス・パーク(Hastings Park)の家畜小屋に収容された。
移された先
ニューデンバーの日系強制収容記念センター(Nikkei Internment Memorial Centre)についてのParks Canadaの説明(新しいタブで開く)によると、移動させられた約2万2,000人のうち、約1万2,000人が、連邦政府が人里離れた地域に設けた収容所に送られました。
このセンターは、BC州ニューデンバー(New Denver)のかつての収容所の跡地にあり、共同の建物と、収容された人々が暮らした小屋3棟が残っています。2007年に国の史跡(National Historic Site)に指定されました。
アルバータ州にも人々が移されました。Parks Canadaのアルバータ州の日系の人々の歴史の説明(新しいタブで開く)では、1942年の夏から、約3,000人の日系カナダ人が西海岸からアルバータ州のテンサイ(砂糖の原料)の農場へ移されたとしています。
戦後:日本への送還と東への分散
戦争が終わったあとも、すぐに元の暮らしに戻れたわけではありませんでした。
- 日本への送還:カナダ文化遺産省の年表によると、1946年に約4,000人が日本へ送られました。その半数はカナダ生まれで、3分の1は16歳未満の子どもでした。カナダ図書館・文書館(Library and Archives Canada、LAC)の案内(新しいタブで開く)は、1946年5月から12月までに3,964人が日本へ送られたと記しています。
- 東への分散:LACによると、1949年までに、収容された多くの人がロッキー山脈より東の都市(トロント、ウィニペグなど)へ強制的に分散させられました。
- 海岸へ戻る自由:Parks Canadaの説明によると、日系カナダ人が海岸へ戻ることを認められたのは、1949年4月1日です。
- 選挙権:カナダ文化遺産省の年表によると、人種を理由に州の選挙権がない人から連邦の選挙権を奪っていた選挙法の規定は1948年に廃止され、1949年に効力が生じました。同じ時期に、日本にルーツを持つ人々はカナダのどこにでも住む権利を取り戻しました。
1988年の謝罪と補償
カナダ文化遺産省の年表によると、1988年9月、カナダ政府は下院で公式に謝罪し、第二次世界大戦中の不当な収容、財産の没収、選挙権のはく奪について補償を申し出ました。
この合意の内容は「リドレス(1988年の補償合意)」の記事で扱います。
日本との違い・注意点
- この出来事の対象になったのは、日本国籍の人だけではありません。カナダで生まれたカナダ国籍の人(二世など)も多く含まれていました。
- バンクーバーのヘイスティングス・パークには、Parks Canadaの記念の銘板があります。ニューデンバーの記念センターのように、当時の建物が残され、記憶をとどめる場所として保存されているところもあります。
- 当時の公文書や資料には、差別的な表現が含まれていることがあります。LACは、家族の歴史を調べる人に向けて、資料の内容が心の負担になる場合があると注意を呼びかけています。
- 日系カナダ人の歴史の始まりは「日系移民の始まり」の記事で扱っています。
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