日系移民の始まり(Early Japanese immigration to Canada)
カナダで記録に残る最初の日本人は、1877年に来たマンゾウ・ナガノ(Manzo Nagano)です。日本からの移民は1877年から1928年までと、1967年以降の2つの波に分けられます。戦前の日系カナダ人の多くはBC州の太平洋岸に住み、漁業や農業、林業などで暮らしを立てました。
最初の日本人
カナダ図書館・文書館(Library and Archives Canada、LAC)の日系カナダ人の調べ方の案内(新しいタブで開く)によると、カナダで記録に残る最初の日本人は、22歳の船乗りだったマンゾウ・ナガノ(Manzo Nagano)です。カナダに来たのは1877年5月でした。
カナダ文化遺産省(Canadian Heritage)は、アジア系の人々の歴史をたどる年表(新しいタブで開く)の最初の項目の一つに、この1877年の出来事を挙げています。毎年5月の「アジア系文化遺産月間(Asian Heritage Month)」は、この年表と同じページで紹介されています。
2つの移民の波
LACは、日本からカナダへの移民を2つの時期に分けています。
| 時期 | 期間 |
|---|---|
| 第1の波 | 1877年から1928年まで |
| 第2の波 | 1967年以降 |
第二次世界大戦の前にカナダに渡った人々と、その子どもの世代は、次のように呼ばれます。
- 一世(Issei):日本で生まれ、第二次世界大戦の前に移住した第1世代
- 二世(Nisei):一世の子どもで、カナダで生まれた第2世代
カナダ文化遺産省の年表によると、1930年代には、日本にルーツを持つ人が約23,000人カナダに住んでいました。
どこに住み、どんな仕事をしたか
LACによると、第二次世界大戦の前、日系カナダ人の多くは、バンクーバーとその周辺、BC州の太平洋岸、バンクーバー島に住んでいました。
仕事は多岐にわたりました。LACは、農業、漁業、缶詰工場、林業、鉱業、製材所、庭師の請負などのほか、クリーニング店、下宿、食料品店、レストランの経営、医師、歯科医師、商人、船大工、教師を挙げています。
内陸のアルバータ州にも、早い時期から日本人が移り住みました。カナダ公園局(Parks Canada)は、アルバータ州の日系の人々の歴史を国の歴史的な出来事(National Historic Event)に指定しています。Parks Canadaの説明(新しいタブで開く)では、1900年代の初めに日本人の労働者が鉱山、鉄道、テンサイ(砂糖の原料)の畑で働いたとされています。アルバータ州レイモンドの日本人会は、1929年に学校の建物を買い取り、のちにレイモンド仏教会の建物になりました。
第一次世界大戦と選挙権
Parks Canadaの記念の説明(新しいタブで開く)によると、第一次世界大戦では200人を超える日系カナダ人の兵士が、1916年から1918年にかけてヨーロッパの西部戦線で戦い、その4分の1が戦死しました。
当時の日系カナダ人は、対等な市民として認められていませんでした。帰還した元兵士たちは社会への完全な参加を求め、1931年、BC州で選挙権を得た最初のアジア系カナダ人のグループになりました。Parks Canadaは、この出来事を2011年に国の歴史的な出来事に指定しています。
連邦の選挙についても、カナダ文化遺産省の年表は次のように記しています。
- 1920年、自治領選挙法(Dominion Elections Act)により、人種を理由に州の選挙権を認められていなかった人は、連邦の選挙権も失った。
- 1948年にこの部分が廃止され、翌1949年に効力が生じた。
この間の第二次世界大戦中の出来事は「第二次世界大戦中の強制移動」の記事で扱います。
日本との違い・注意点
- 「日系カナダ人」は、日本にルーツを持つカナダの人々を指します。日本国籍を持つ人だけを指す言葉ではなく、何世代もカナダで暮らしてきた人が多くいます。
- 日系カナダ人の歴史は、戦前のBC州の太平洋岸から、戦後のトロントやウィニペグなどロッキー山脈より東の都市へと、暮らす場所が大きく変わった歴史でもあります。BC州だけでなく、各地の博物館や記念施設で歴史に触れることができます。
- 家族の歴史を調べたい人のために、LACは国勢調査や出生・婚姻・死亡の記録、兵役の記録などの調べ方を案内しています。古い記録には、当時の差別的な表現が含まれることがあると注意書きがあります。
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