連邦結成(1867年、Confederation)
1867年7月1日、オンタリオ・ケベック・ノバスコシア・ニューブランズウィックの4州で「カナダ自治領(Dominion of Canada)」が生まれました。連邦結成までの流れ、その後に州・準州が加わった順番、いまの憲法とのつながりをまとめます。
連邦結成までの流れ
1840年、アッパー・カナダとロワー・カナダは一つになり、「カナダ植民地(Province of Canada)」になりました。その後、議会の支持を失った政府は退くという「責任政府(responsible government)」の仕組みが、1847〜1848年にノバスコシア、1848〜1849年にカナダ植民地で実現します。
1864年から1867年にかけて、ノバスコシア、ニューブランズウィック、カナダ植民地の代表が、新しい国をつくるために話し合いを重ねました。この人々は「連邦の父たち(Fathers of Confederation)」と呼ばれています。話し合いの中で、連邦政府と州政府という二つの段階の政府を置く形が決まりました(市民権の学習用ガイド「Discover Canada(新しいタブで開く)」による)。
1867年7月1日
イギリス議会は1867年に英領北アメリカ法(British North America Act)を制定し、1867年7月1日にカナダ自治領(Dominion of Canada)が正式に生まれました。
- それまでのカナダ植民地は、オンタリオ州とケベック州の2つに分かれました。もとのアッパー・カナダがオンタリオ州、ロワー・カナダがケベック州です。
- この2州に、ノバスコシア州とニューブランズウィック州を合わせた4州で、新しい国が始まりました。
- 「Dominion of Canada」という名前は、1864年に連邦の父の一人、レナード・ティリー(Sir Leonard Tilley)が提案したものです。
英領北アメリカ法は、いまは「1867年憲法法(Constitution Act, 1867)」と呼ばれ、連邦の法令サイト(新しいタブで開く)で読めます。連邦議会と州議会の権限の分け方(第91条・第92条)など、いまのカナダの仕組みの土台になっている法律です。
最初の首相
初代首相は、ジョン・A・マクドナルド(Sir John Alexander Macdonald)です。1815年にスコットランドで生まれ、オンタリオ州キングストンで弁護士・政治家として活動しました。ケベック側で連邦結成の中心となったのは、ジョルジュ=エティエンヌ・カルティエ(Sir George-Étienne Cartier)です。
州・準州が加わった順番
4州で始まったカナダは、その後、西と北へ広がりました。
| 年 | 加わった州・準州 |
|---|---|
| 1867年 | オンタリオ州、ケベック州、ノバスコシア州、ニューブランズウィック州 |
| 1870年 | マニトバ州、ノースウエスト準州 |
| 1871年 | ブリティッシュコロンビア州(BC) |
| 1873年 | プリンスエドワードアイランド州 |
| 1880年 | 北極圏の島々(ノースウエスト準州へ移管) |
| 1898年 | ユーコン準州 |
| 1905年 | アルバータ州、サスカチュワン州 |
| 1949年 | ニューファンドランド・ラブラドール州 |
| 1999年 | ヌナブト準州 |
1869年にカナダがハドソン湾会社から北西部の土地を引き継いだとき、レッド・リバーのメティスには相談がありませんでした。これが1870年のマニトバ州の成立につながります。いまの州・準州については10州と3準州にまとめています。
7月1日の記念日へ
カナダ文化遺産省(Canadian Heritage)によると、1868年6月20日、総督のモンク卿が、7月1日に自治領の成立を祝うよう呼びかける布告を出しました。1879年5月15日には、7月1日を「ドミニオン・デー(Dominion Day)」という祝日にする法律が成立しています。この日は1982年に「カナダ・デー」という名前になりました(「カナダ・デー(7月1日)」)。
日本との違い・注意点
- 1867年の憲法は、カナダの議会ではなくイギリス議会がつくった法律です。その後の憲法の歩みは1982年憲法と権利と自由の憲章で扱います。
- 1867年の時点のカナダは4州だけで、いまの国土の大部分は、その後に加わったものです。州によって「カナダに加わった年」が違います。
- 7月1日のカナダ・デーは連邦結成の記念日で、1879年から祝日になっています。
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