二つの世界大戦とカナダ(Canada in the First and Second World Wars)
カナダは第一次世界大戦(1914〜1918年)と第二次世界大戦(1939〜1945年)に参加しました。主なできごとと年月を、カナダ退役軍人省と市民権の学習用ガイド「Discover Canada」の説明をもとに年表でまとめます。
カナダと二つの世界大戦
カナダは、20世紀前半の二つの世界大戦に、連合国の側で参加しました。当時のカナダの人口は、第一次世界大戦のころが800万人足らず、第二次世界大戦のころが1,150万人です(Discover Canada(新しいタブで開く))。
当時のニューファンドランドは、まだカナダの州ではありませんでした(州になったのは1949年。連邦結成(1867年))。そのため、カナダ退役軍人省(Veterans Affairs Canada)は、参加した人の数を「カナダとニューファンドランドの人々」として示しています。
この記事では、できごとを年表で整理します。戦いの評価は扱いません。
第一次世界大戦(1914〜1918年)
1914年8月4日にドイツがベルギーに侵攻し、ベルギーを守ると約束していたイギリスが参戦しました。退役軍人省の第一次世界大戦のページ(新しいタブで開く)によると、この戦争では、カナダとニューファンドランドの65万人を超える人々が軍務につきました。
| 年月 | できごと |
|---|---|
| 1915年4月22日〜5月25日 | 第二次イーペルの戦い(ベルギー) |
| 1916年7月1日 | ボーモン・アメルの戦いで、ニューファンドランド連隊が戦う |
| 1916年7月1日〜11月18日 | ソンムの戦い(フランス) |
| 1917年4月9日〜12日 | ヴィミー・リッジの戦い(フランス)。カナダ軍団がヴィミー・リッジを占領し、1万人が死傷 |
| 1917年7月31日〜11月10日 | パッシェンデールの戦い(ベルギー) |
| 1918年8月〜11月 | 「最後の100日」。アーサー・カリー将軍の率いるカナダ軍団が、フランスとイギリス帝国の部隊とともに前進 |
| 1918年11月11日 | 休戦協定が結ばれ、戦争が終わる |
Discover Canada は、4月9日が「ヴィミーの日(Vimy Day)」として記念されていると説明しています。11月11日は、いまもリメンブランス・デーとして追悼の日になっています(リメンブランス・デー)。
国内でのできごと
Discover Canada によると、1914年から1920年にかけて、連邦政府は、旧オーストリア・ハンガリー帝国の出身者8,000人以上(主にウクライナ系の男性)を「敵性外国人(enemy aliens)」として、全国24か所の労働収容所に収容しました。
また、この時期に女性の選挙権が広がりました。1916年にマニトバ州が州として初めて女性に選挙権を認め、1917年には連邦政府が連邦選挙での女性の選挙権を認めました。1918年には、21歳以上のほとんどの女性の市民が連邦選挙で投票できるようになっています(Discover Canada)。
第二次世界大戦(1939〜1945年)
カナダは1939年9月10日に参戦しました。退役軍人省の第二次世界大戦のページ(新しいタブで開く)によると、カナダとニューファンドランドの100万人を超える人々が、国内と世界各地で軍務につきました。
| 年月 | できごと |
|---|---|
| 1939年9月3日〜1945年5月8日 | 大西洋の戦い。カナダ海軍が、商船の船団をドイツの潜水艦から守る |
| 1941年12月 | 香港の防衛戦(次の節) |
| 1942年8月19日 | ディエップ(フランス)への上陸作戦 |
| 1943年7月10日〜 | イタリアでの戦いが始まる |
| 1944年6月6日 | ノルマンディー上陸作戦。1万5,000人のカナダ兵がジュノー・ビーチを占領 |
| 1944年9月〜1945年4月 | オランダの解放。1945年5月5日に完了 |
| 1945年5月8日 | ヨーロッパでの戦争が終わる(V-E Day) |
| 1945年8月15日 | 戦争が終わる(V-J Day) |
Discover Canada は、カナダ空軍(Royal Canadian Air Force、RCAF)がイギリス本土航空戦(Battle of Britain)に加わったこと、英連邦航空訓練計画によって13万人を超える連合国の航空兵がカナダで訓練を受けたことを挙げています。戦争の終わりに、カナダの海軍は世界で3番目の規模になっていました。
香港の戦いと日本
太平洋では、カナダ兵が日本軍と戦いました。退役軍人省の香港の防衛戦のページ(新しいタブで開く)によると、経緯は次のとおりです。
- 1941年10月下旬、1,975人のカナダ兵がバンクーバーを船で出発し、11月16日に香港に着く
- 12月8日の朝、日本軍の攻撃が始まる
- 約17日間の戦いのあと、1941年のクリスマスまでに香港が降伏する
- 生き残ったカナダ兵は捕虜となり、1943年はじめまで香港で、その後は日本で、1945年9月の解放まで3年半以上を過ごす
香港に送られた約2,000人のうち、550人を超える人々が帰国できませんでした。捕虜収容所では260人を超えるカナダ人が亡くなっています。退役軍人省は、捕虜がわずかな米の食事で強制労働をさせられたと説明しています。
Discover Canada は、太平洋の戦争では、日本がアリューシャン列島に侵攻し、バンクーバー島の灯台を攻撃し、BC と平原州の上空に風船爆弾を飛ばしたことにもふれています。
日系カナダ人の強制移動
第二次世界大戦中、連邦政府は日系カナダ人を強制的に移動させ、財産を補償なしに売却しました。Discover Canada は、軍と連邦警察(RCMP)が「日系カナダ人がカナダにもたらす危険は小さい」と連邦政府に伝えていたにもかかわらず、これが行われたと説明しています。
カナダ政府は1988年に、戦時中の不当な扱いについて謝罪し、被害を受けた人々に補償しました。移民の歴史の中での日系カナダ人については、移民の歴史で扱います。
日本との違い・注意点
- 第二次世界大戦で、カナダと日本は敵どうしでした。香港の戦いで捕虜になったカナダ兵は、日本の収容所でも過ごしています。リメンブランス・デーの式典などで、この歴史にふれることがあります。
- カナダでは、戦争の記憶は11月11日のリメンブランス・デーを中心に受け継がれています。赤いポピーを胸に付ける習慣もあります(リメンブランス・デー)。
- 戦争の犠牲者の数は、数える範囲(ニューファンドランドを含むか、戦後に亡くなった人を含むかなど)によって、公的な資料のあいだでも違いがあります。
- 歴史の全体の流れはカナダの歴史の流れにまとめています。
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