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リドレス(1988年の補償合意、Japanese Canadian Redress Agreement)

ひとことで言うと

1988年9月22日、カナダ政府と全国日系カナダ人協会(NAJC)は「日系カナダ人リドレス合意」に署名しました。第二次世界大戦中と戦後の不当な扱いについて、政府は下院で公式に謝罪し、補償を申し出ました。合意にもとづき、カナダ人種関係財団(CRRF)が設けられています。

目次
  1. 年9月22日の合意
  2. 下院での謝罪
  3. 補償を進めた事務局
  4. カナダ人種関係財団(CRRF)
  5. その後のBC州の取り組み
  6. 日本との違い・注意点

1988年9月22日の合意

第二次世界大戦中と戦後、日系カナダ人は太平洋岸から移され、財産を処分され、選挙権も認められませんでした。この出来事は「第二次世界大戦中の強制移動」の記事で扱っています。

それから40年あまりたった1988年、カナダ政府は日系カナダ人の団体と補償の合意を結びました。この合意は英語で「Japanese Canadian Redress Agreement」と呼ばれます。「リドレス(redress)」は、過去の不正を正し、償うことを意味する言葉です。

カナダ図書館・文書館(Library and Archives Canada、LAC)の記録の説明(新しいタブで開く)によると、合意は1988年9月22日に、次の2人が署名しました。

  • 当時のカナダの首相
  • 全国日系カナダ人協会(National Association of Japanese Canadians、NAJC)の当時の会長

下院での謝罪

カナダ文化遺産省(Canadian Heritage)のアジア系の人々の歴史の年表(新しいタブで開く)は、1988年9月の出来事として次のように記しています。

  • カナダ政府は下院(House of Commons)で公式に謝罪した。
  • 第二次世界大戦中の不当な収容、財産の没収、日本にルーツを持つ人々の選挙権のはく奪について、補償を申し出た。

補償を進めた事務局

合意の内容を実行するため、連邦政府は「日系カナダ人リドレス事務局(Japanese Canadian Redress Secretariat、JCRS)」を設けました。

LACの説明によると、JCRSの役目は次のとおりでした。

  • 第二次世界大戦中と戦後に不当な扱いを受けた日系カナダ人への補償の仕組みを運営する。
  • 申請した人が補償の対象になるかを判断する。
  • 条件にあてはまる人に小切手を送る。

JCRSは、はじめは多文化主義を担当していた国務省(Department of the Secretary of State)に置かれました。その後、1991年に多文化主義・市民権省へ、1996年にカナダ文化遺産省の多文化主義の部門へ移りました。

JCRSの記録は1942年から1999年までの書類を含み、今はLACが保管しています。記録の一部は、法律にもとづいて閲覧が制限されています。

カナダ人種関係財団(CRRF)

合意をきっかけに生まれた機関もあります。カナダ人種関係財団(Canadian Race Relations Foundation、CRRF)です。

1991年2月1日に成立したカナダ人種関係財団法(新しいタブで開く)の前文は、政府がNAJCとリドレス合意を結んだことで、過去の行き過ぎを非難し、すべての人の正義と平等の原則を確かめ、人種関係の財団を設けることを約束したと記しています。

この法律の主な内容は次のとおりです。

項目法律の内容
財団の目的カナダ社会から人種差別をなくすため、知識や経験を広め、生かすことを助ける
国からの拠出C$2,400万(2,400万カナダドル)
拠出のうち日系社会の分C$1,200万。戦中・戦後に不当な扱いを受けた日系の人々を記念し、日系社会に代わって拠出する

その後のBC州の取り組み

州の段階でも取り組みが続いています。BC州政府の2022年5月21日の発表(新しいタブで開く)によると、BC州は日系カナダ人のための1億カナダドルの取り組みを決めました。強制収容が始まった1942年から80年にあたる時期の発表です。

発表によると、この取り組みは、NAJCが2021年に出した提案に応えたもので、2012年にBC州議会が行った謝罪に続くものです。主な内容は次の3つです。

  • 強制収容の時代を生きた人々の健康と暮らしを支える
  • 史跡をつくり直し、生き残った人々をたたえる記念碑を建てる
  • 学校のカリキュラムでこの歴史を教える

同じ発表は、1942年の初めから、BC州の日系カナダ人の90%以上、約2万2,000人が戦時措置法のもとで家や財産を失ったと記しています。

日本との違い・注意点

  • リドレス合意は、カナダ政府とカナダの日系社会の団体(NAJC)との合意です。日本政府との間の取り決めではありません。補償の対象は、カナダで不当な扱いを受けた日系カナダ人でした。
  • 1988年の合意はすでに実行を終えています。この記事は歴史の説明で、補償の申請の案内ではありません。
  • 合意や強制移動の歴史に関わる資料や展示は、各地の博物館で見ることができます。バーナビーの博物館は「日系博物館(Nikkei National Museum)」の記事で扱います。
  • 家族の記録を調べたいときは、LACが調べ方を案内しています。古い記録には当時の差別的な表現が含まれることがあります。

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