先住民の歴史(History of Indigenous peoples in Canada)
ヨーロッパ人が来るずっと前から、カナダの土地には先住民が暮らしていました。毛皮交易と同盟、1763年の国王宣言と条約、インディアン法と寄宿学校、1982年憲法による権利の確認、2008年の謝罪まで、大きな流れを年表でまとめます。
ヨーロッパ人が来る前
市民権の学習用ガイド「Discover Canada(新しいタブで開く)」は、先住民の祖先は何千年も前にアジアから移ってきたと考えられている、と説明しています。人々は土地に根ざして暮らし、狩りや採集で暮らす人々も、作物を育てて暮らす人々もいました。
先住民は、ファースト・ネーションズ、イヌイット、メティスの3つの民族に分けられます。それぞれの基本は「先住民の基本」にまとめています。
ヨーロッパ人との出会い
Discover Canada によると、ヨーロッパの探検家が来たとき、カナダのどの地域にもすでに先住民が暮らしていました。探検家は東インドに着いたと思い込み、人々を「インディアン」と呼びました。
- ヨーロッパから持ち込まれた病気に免疫がなく、多くの先住民が亡くなりました。
- フランス人と先住民は、ヨーロッパでのビーバーの毛皮の需要に支えられた毛皮交易で協力しました。
- シャンプランはアルゴンキン、モンタニェ、ヒューロンと同盟を結びました。1812年戦争では、テカムセが率いたショーニーなどのファースト・ネーションズがイギリス軍を支えました。
年表
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1701〜1923年 | 連邦政府が認める70の歴史的な条約が結ばれる |
| 1763年 | 国王ジョージ3世の国王宣言(Royal Proclamation)で、先住民の土地の権利が初めて保障される |
| 1869〜1870年 | カナダがハドソン湾会社から北西部を引き継ぐ。相談のなかったレッド・リバーのメティスがルイ・リエルのもとで立ち上がる |
| 1876年 | インディアン法(Indian Act)が制定される |
| 1885年 | いまのサスカチュワン州で2度目の抵抗が起き、リエルが処刑される |
| 1970年代 | 「ファースト・ネーションズ」という呼び方が使われ始める |
| 1975年以降 | 現代の条約(包括的な土地の権利の協定)が結ばれるようになる |
| 1982年 | 1982年憲法第35条が、先住民の既存の権利と条約上の権利を認め、確認する |
| 2008年 | 連邦政府が寄宿学校の元生徒に公式に謝罪する |
(Discover Canada、CIRNACの条約のページ(新しいタブで開く)、1982年憲法の条文(新しいタブで開く)によります。)
Discover Canada は、1763年の国王宣言が、新しく来た人々と条約を結ぶ土台になったと説明しています。同時に、その条約が「必ずしも十分に守られてこなかった」ことにもふれています。条約の基本は「条約と土地の権利」で扱います。
寄宿学校
連邦政府は、多くの先住民の子どもを寄宿学校(Residential schools)に入れ、主流のカナダ文化に同化させようとしました。Discover Canada は、学校の資金は乏しく、生徒に苦難を強い、先住民の言語と文化の慣習はほとんど禁じられたと説明しています。
CIRNACのページ(新しいタブで開く)によると、約15万人の子どもが家族から引き離されて寄宿学校に通い、連邦政府が運営した最後の学校は1990年代後半に閉じられました。詳しくは「寄宿学校」で扱います。
日本との違い・注意点
- カナダの歴史は、ヨーロッパ人の到着から始まるわけではありません。何千年も前から続く先住民の歴史があり、カナダ全体の歴史の流れは「カナダの歴史の流れ」にまとめています。
- 条約やインディアン法、寄宿学校の影響は、いまの社会にも続いています。土地の利用や教育、言語の取り組みなどのニュースは、この歴史とつながっています。
- 同じできごとでも、先住民の側から見た歴史を合わせて知ることが大切です。各地の先住民の文化施設や博物館でも学べます。
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